臨済宗 妙心寺派 重秀寺 臨済宗妙心寺派 重秀寺
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住職よりご挨拶

現住職 光定元開(みつさだげんかい) 現住職
光定元開(みつさだげんかい) 現在66歳

縁あって26歳で得度。那須雲巖寺にて修行。
平成三年四月に重秀寺に入寺。同年十月に住職拝命。
現在、開創400年に向かってお寺を整備中。

和尚の挨拶

当ホームページもはや9年になろうとしております。
当寺の由来や臨済宗の事、坐禅や茶道の稽古など、更に皆様方からのご質問などにお答えして行きたいと思っております。

どうぞ当ホームページをご活用頂ければ幸甚です。

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重秀寺の由来、歴史

重秀寺 当山は、開山和尚に江國紹巴禅師という方を招いて寛永3年(1626年)に麻布今井寺町(今の六本木3丁目あたり)に草庵を結び、旗本上田重秀公の菩提寺としたのが始まりです。

上田重秀公は芸州浅野家(現広島県)の家老上田宗箇の長男として生まれました。
寛永9年(1632年)に第三代将軍・家光に旗本として取り立てられ、父・宗箇のかわりに江戸へ出仕した方です。

元禄7年(1694年)町医者吉田玄信が百姓地であった現所在地一帯を買い入れ、上田家菩提所として寄進され、現在に至っております。

当山は寛永三丙寅年の創立にして、初めは麻布今井町にありしも、元禄七甲戌年秋初月、寄附者町医吉田玄信氏、百姓地を買い入れ今の地に転ず。開基は徳川家旗元上田重秀公なり。
開祖は諱は絶巴、字は江國、姓は大江と謂う。日向國の人にして生所其の他の事は詳しからず。
同国佐土原大光寺、丗七世雄山和尚に就いて得度す。寛永三年秋、上田重秀公の請に応じて来たり、開祖となる。
寛文一二年四月三日円寂す。時に寿八十一なり。越えて文化十五年六月三日勅して説到無説禅師の諡号を賜ふ。


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臨済宗妙心派について

当寺の本山は京都花園にあります妙心寺です。花園天皇(1297−1348)がご自分の離宮を改めて禅寺とした妙心寺は今からおよそ670年程前に開かれました。

花園天皇は大徳寺(京都市)を開かれた宗峰妙超禅師(大燈国師)について参禅(※1)をしてその法をお継ぎ(印可(※2))になりました。

花園法皇(※3)が「師の亡き後、自分は誰に法を問えばよいか」と尋ねたところ、宗峰妙超禅師 (大燈国師)は自分の弟子である関山慧玄禅師(無相国師)を新たに師とするように推挙しました。
法皇は建武四年(1337年)、「正法山妙心寺」と命した禅寺を開創、開山さまとしてその関山慧玄禅師(無相国師)を迎え参禅されました。

この年は、花園法皇の師である宗峰妙超禅師(大燈国師)がお亡くなりになった年です。
因みに花園法皇は貞和四年(1348年)11月11日52歳で崩御されました。
開山さまは、延文五年(1360年)12月12日に亡くなられました。

妙心寺はたくさんの塔頭寺院(※4)があります。現在46ヶ寺で末寺は日本および世界中におよそ3400ヶ寺あります。
皆様、是非一度、訪れてみてください。

※1 参禅
座禅して禅を修学すること。特に、ある師の指導の下に禅の修行をすること。参学座禅。問禅。
※2 印可
弟子が悟りを開いたり、宗教的能力を得たことを師が証明認可すること。主に禅宗・密教でいう。
※3 花園法皇
1318年、花園天皇は後醍醐天皇に譲位して出家され、法皇となった。
※4 塔頭寺院
禅宗寺院で、開山または住持の死後弟子が遺徳を慕ってその塔の頭(ほとり)、あるいは
同じ敷地内に建てた小院。


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